こんにちは。現在は東京大学苗村研D3の矢作優知です。HCIやデザインの領域の研究者や学生がどう研究を実践しているかに興味を持っています。
9月にEPIC (Ethnographic Praxis in Industry Conference) というカンファレンスに、副指導教員としてお世話になっている藤田先生やそのゼミの学生さんと一緒に参加してきました。今回の記事では、その様子をご共有します。
この記事は「Human-Computer Interaction (HCI) Advent Calendar 2025」の16日目の記事です。
工学部出身なのですが、工学的なHCI研究が自分の性分には合わないと感じるようになり、大学院に進学以降は質的研究の方法論を勉強しながら研究に取り組んでいます。現在は博士研究としてデザイン系の研究室でフィールドワーク(参与観察)をしているため、エスノグラフィーをトピックとした会議であるEPICに参加することになりました。
会議全体の様子
EPIC2025は産業エスノグラフィーの国際会議であり、今年で21回目の開催となりました。エスノグラフィーは文化人類学や社会学の分野で発展してきた手法であり、調査者が現場(フィールド)の一員となって活動しながら、そこで活動する人々を観察するものです。EPICには、エスノグラフィーをUXデザインや企業コンサルタントをはじめとする様々な実践的場面で応用している研究者・実践家が集まります。デザインに関連する業界の方が多く、HCIと近しいと感じました。
今回はフィンランドのAalto大学を会場として開催されました。
参加者は約300人でした。ただ、参加者の所属機関を地域別でみるとアジアからの参加は少なく、日本からの参加者も10人以下にとどまりました。発表トラックの構成はHCIの学会と似通っており、論文(Papers)の他に、Case StudiesやGraduate Colloquium、Art Experienceがあります。加えて、一定時間ごとにスライドが切り替わる「PechaKucha」というプレゼンテーション形式のトラックがあるのは特徴的と言えます。このトラックでは、フィールドワークで得た写真などをスライドショーにして、発表者がストーリーを語ります。ストーリーテリングとしてのエスノグラフィーの側面を引き出すための発表形式として設けられています。
| PechaKuchaの発表。6年にわたってアパートの共用部に "giveaway pile" として置かれたものを撮影したビジュアル・エスノグラフィー (Shure 2025) |
「エスノグラフィーの実践を定義するのは、特定の方法やテクニックではなく、社会文化的視点である。」(筆者訳、https://www.epicpeople.org/what-is-ethnography/)とEPICのホームページに書かれているように、エスノグラフィーでは人々の活動や考え方を、人間関係・周囲の環境・文化などと関連づけながら理解することを大切にします。そしてEPICでは、現場でメモを取ったりインタビューをしたりする方法に限らず、アプリ利用ログやセンサーで得られた環境データなど多様な方法で行われたエスノグラフィーを受け入れています。このような背景のもと、特に今年のEPICでは、生成AIをどのようにエスノグラフィーの中で用いることができるか?に関する発表と議論が盛んに行われていました。
例えば、Barnard, Han, Louch & Raijmakers 2025 は生成AIの性能が向上したことで、AIはツールからチームメイトに変化し始めていると指摘します。つまり、インタビューの音声を文字起こしするといった単純な作業を補助するツールから、データの解釈や論文の起草を行う研究者と位置付けます。そして、通常個人による使用を想定してデザインされている生成AIを、チームで共有して利用することを試行しています。
また、ツール開発にも踏み込んだ研究も見られました。例えば Rennie, Nabben, Zargham, Potts, Coco & Miller 2025 は複数の組織をフィールドとして、エスノグラフィーのためのツール開発を含むデザイン志向の参加型エスノグラフィーを行いました。開発・運用したシステムはKOI (Knowledge Organisation Infrastructure) と彼女らが呼ぶもので、1)組織内の情報(discordでの会話履歴など)を研究に用いるためにメンバーの同意を得る仕組み、2)データにユニークなIDを付与して Obsidian に取り込みフィールドノーツに組み込んだり注釈をつける仕組み、3)注釈付きのフィールドノーツを現場の人に送り返して参加者もデータ分析に参加できる仕組みを持ち、組織内の多様なプラットフォームに分散して存在するデータを繋ぎ合わせる基盤を提供します。そしてこのような基盤によってデータの計算機(AI)可読性や多様な参加者のデータへの関与が実現されると、エスノグラフィーの観察・解釈・記述という分析プロセスが変容する可能性があると主張します。このような状況では、エスノグラファーは観察・解釈・記述の実施者にとどまらず、さまざまなアクター(計算機を含む)が関与する情報の流れの「ループを構築する」役割を担うことになるとも指摘します。
以上のような、実践の現場だからこそのスピード感ある取り組みを元にした議論は、研究へのAI活用を考える上でとても刺激的でした。エスノグラフィーというタームのもとで研究者たちは「テクニック(すなわち、methods (方法) の問題)という観点だけでなく、探究と知識生産に対する根本的な認識論的立場(すなわち、methodology (方法論) の問題)という観点」(Dourish 2014) からも研究とは何かを考察しています。このような知的生産に関する考察を加えることで、研究において生成AIをデータ分析に用いることは得られる知識にどのような質的な変化をもたらしうるのか?AIと人間はどのように協働していくのが望ましいのか?という問いを考えるヒントが得られるようになっていました。 UXデザインなどの実務の現場を対象としているため、(いい意味で)研究としての知的成果にとらわれすぎず、手段を問わない調査が実践されています。その一方で、EPICにはそのプロセスについて批判的な省察を加える場としての機能もあります。このバランスこそが、このようにユニークな議論を可能にしているのかもしれません。EPICはスピード感ある実践と慎重な方法論的議論の合流地点になっていると思いました。
私の発表
私自身はGraduate Colloquiumで研究発表を行いました。タイトルは「Tinkering in Design: Field Studies on How HCI Students Make and Learn with Newfound Technologies in Research through Design」(デザインにおけるティンカリング:リサーチ・スルー・デザインにおいてHCI学生は馴染みのないテクノロジーと共にどのように作り・学ぶのかについてのフィールド調査)です。本発表は私が博士研究として取り組んでいるテーマに関するもので、デザイン学生が生成AIを含むテクノロジーをどのように理解しデザインを進めているのか、モノづくりはそれにどのように関与しているのかを分析しています。
EPICではこの研究について発表したのですが、発表形式はやや特殊でした。このカンファレンスのGraduate Colloquiumは幅広い人に研究を伝えるためのトレーニングとして設計されています。このため、発表では、研究背景や目的、関連研究、結果、考察といった内容を順に述べるいわゆる研究のプレゼンではなく、エレベーターピッチの形式で発表を行うことが求められます。これは、実務者が多く参加するEPICならではのユニークなプログラムです。加えて、ここで磨いたピッチを披露して、すぐさま会期中に自分の研究を他の参加者に「売り込む」(紹介する)ことで、ネットワーキングに役立てることも狙いとしており、学会の初日の朝に開催されます。
今回の発表の中で、私はある学生の事例を取り上げることにしました。それは、ChatGPTで遊ぶ中で「AIからAI感を抜く」ことができると気づき、それがデザインにつながったというものです。この学生は、悩みなどの「もやもや」を入力すると、もやもやに共感したりポジティブに捉え直したりする曲が作られ、自分の悩みへの見方を変えるきっかけを提供するためのシステムをデザインしました。私の研究では、その過程にあった「遊び」を通じたAIの素材化に注目しています。
その学生は、当初はAIを「硬くてドライなもの」だと思い込んでいました。悩みを抱える人たちにポジティブになってもらえるようなプロダクトを作りたいと思っていましたが、そんな時に有効な「心を動かすような言葉」はAIからは出てこないと思っていたのです。転機は、ある日の「遊び」でした。彼女は「計画通りに勉強できなくて落ち込んでいる」という悩みを、ユーモアを加えようと思って「スナックのママの口調で励まして」とAIに頼んでみました。すると、AIは「あら、そんな日もあるわよ。計画通りにいかないことなんて誰にでもあることだからね...」と、誰かに影響を与えてくるような口調で話し始めたのです。この出来事は学生にとって衝撃的だったと言います。AIから自分でAI感を抜くことは可能であり、話し方はデザイナーがデザイン可能であり、AIは自分の作品に組み込める「素材」なのだと気づいたのです。
9月の学会に向けて事前に2回のオンラインワークショップに参加したうえで、以上の内容をピッチとして準備して学会当日に臨みました。そして、メンターを担当してくださった研究者の皆さんからフィードバックをいただきました。
いただいたコメントは、ピッチの改善と研究内容の双方に対して示唆的なものでした。 まず、ストーリーとしてまとまっていて写真やスクリーンショットも有効に活用した発表になっているという評価をいただくことができました。デザインの実践についての研究であるため、研究結果を紹介するために必要な資料を厳選して提示することは不可欠な部分でしたが、デザイン成果の説明ではなくストーリーを伝えるための資料として効果的だったと評価して頂けたのは嬉しかったです。 また、「スナックのママ」の事例は説得力があるという評価もいただきました。以上のコメントから、研究をピッチとして語ることについて手応えを感じ自信をつけることができました。
一方で、課題としては聴衆に合わせて「素材」(material)という概念の説明を行う必要があると指摘されました。具体的には、デザイン教育という実践と「素材」の関連性やギャップを冒頭で話して聞き手の焦点をそこに向けること、また社会科学的な研究の中での用語として用いている「素材」という言葉の意味を分野外の人に向けて概念を翻訳して伝える方法を工夫する必要があるとアドバイスを受けたのです。このコメントからは、自分の研究で使う用語が日常会話でも使われる言葉であることに甘んじて、説明をスキップしてしまっていたことに気づかされました。これら2点のコメントに共通するのは、聴衆がどのような人々であるかを意識する必要性の強調でした。
Graduate Colloquiumに参加できたことは、学会参加中という短期的にも、その後の研究遂行という長期的にも、有益なものであったと感じています。
まずGraduate Colloquiumの狙い通り、即座に学会中のネットワーキングにとても役立ちました。エスノグラフィーは年単位の調査で得た膨大なデータをもとにした研究で、現実の場面での多様な要素の複雑な関係性を考察します。このため、私は短時間で研究内容を伝えることは難しいと感じてきました(もちろん、分析やまとめを進めて要点を一言で言えるように磨いていくことを目指すものではありますが)。それをピッチとして、5分程度で、スライドは使っても5枚までで、という非常に圧縮した形式に変換するのはとても良い訓練になりました。一度ここまで圧縮する練習をすると不思議と、1分・3分・5分と相手の興味の度合いに合わせて詳細度を調整し、口頭での研究紹介ができるようになっていました。
またその後への良い影響を学会から数ヶ月経ったいま振り返ってみると、研究の発表形式のボキャブラリーが増えたことと、端的に表現するための表現・発表形式という観点で他の人の研究発表を見る視点が得られたことがあるように思います。
Graduate colloquiumを経験する前は、典型的な研究プレゼンの型のみを知っている状態でしたが、「私が何の研究をしているのかを覚えてもらう」ためにストーリーを中心化したピッチという形式を理解することができました。正直に言えば、プログラム参加以前は、典型的なスライド発表形式が研究のパーツを過不足なく含む完全版で、ピッチのように「わかりやすさ」を優先して発表を作ることには、研究における謙虚さを捨てているようにも感じられ、当初は抵抗がありました。それでもなお、このgraduate colloquiumによって手段の1つとして理解して受け入れることができたのは、ピッチはどんな場面で・誰に対して伝えるために必要であるかを丁寧に説明していただいたからだと思います。事前のオンラインワークショップで、民間企業などで活動しているメンターの皆さんから、ピッチという形式がなぜ必要なのかを丁寧に説明していただいたことが、この理解を支えていたのだと思います。
そして、ピッチという研究プレゼンとは大きく異なる形式を訓練したことによって、他の人が簡潔に伝えるためにどんな工夫をしているのかに敏感になったように思います。今回のピッチを作成するにあたってどうしても短くしきれなかったのは、学生とAIの関係性がどのように変化したのかというプロセスの側面です。時間をかけて展開した過程を短くいうのは、どうやっても無理だろうと感じてしまいました。ただ、そのことをメンターに相談するとプロセスに名前をつけて説明すれば短くできるだろう、とアドバイスをいただきました。これは研究の分析にもつながるコメントでした。以上のようなことがあり、短くするための工夫をどのように研究者たちがしているか?という観点で他の人の発表や論文を見るようになったのです。改めて文章にすると当たり前のことに気づいているようでもありますが、自分にとっては極限まで短くする試みを行うことで明確に限界を認識して、このことに気づくことができました。最近のカンファレンスでは発表数の増加によりフルペーパーの発表でも10分程度でプレゼンをすることも増えていますし、この学びは研究活動の様々な場面で役立ちそうです。
以上のように、EPICのgraduate colloquiumは、会議のトピックや参加者層のユニークさを生かした学びの多いプログラムでした。大学での修士・博士研究をもとにしつつも、より学術的な場面とは異なる形式で研究紹介をするいわば筋トレのような活動に参加でき、大いに鍛えられたと感じています。なおこの参加報告では、graduate colloquiumのピッチ練習が就活やnon-academicな人々とのコミュニケーションにおいてどのように役立つかという側面(これもプログラムの主要な関心の一つでした)はあまり強調できていません。また、多くを触れませんでしたが、他の大学院生の参加者たちとの交流もとても有意義なものでした。学会の冒頭に密に交流できたことで、会期中を通じて関わることができました。メンターの皆様、他の参加者の皆様、ありがとうございました。EPICは来年の開催も決定しております。情報システムのデザインやAI活用などに関して、質的研究に関心を持ったHCI分野の大学院生の皆さんや、企業などでHCI関連の研究もされている方々にもオススメできると思います。
謝辞
参加にあたって、電気通信普及財団から海外渡航旅費支援をいただいたことに感謝いたします。また、本記事は財団への報告書を加筆修正したものです。
参考文献
Katy Barnard, Qin Han, Ed Louch, and Bas Raijmakers. 2025. Collaborating with AI as a team member in qualitative research analysis. 88–110.
Ellie Rennie, Kelsie Nabben, Michael Zargham, Jason Potts, Brooke Ann Coco, and Luke Miller. 2025. Building the Loop: The Role of Ethnography in Artificial Organisational Intelligence. 261–274.
Paul Dourish. 2014. Reading and Interpreting Ethnography.
In Ways of Knowing in HCI, Judith S. Olson and Wendy A. Kellogg (eds.). Springer, New York, NY, 1–23. https://doi.org/10.1007/978-1-4939-0378-8_1